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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)12859号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

二そこでまず、本訴抗弁1(原債務=貸金の成立とその一部弁済)についてみるに、<証拠>によると、被告は、昭和五〇年二月、資本金三〇〇〇万円、主たる営業目的を金融業、不動産売買、仲介業及び飲食店経営等として設立登記され、昭和五三年八月、肩書地に本店を移転し、昭和五五年九月ころには従業員約九名を擁していたもの、西北社は、昭和五二年一一月、資本金三〇〇万円、風俗営業の経営を主たる目的として設立され、昭和五四年六月から東京都世田谷区代沢内に本店を構えていたが、いわゆる店舗リース業を手広く経営していた佐々木勲の主宰する宮城興業株式会社から東京都新宿区内の通称西北ビルの二階を貸借もしくは店舗経営を受託して「東京カントリークラブ」なる名称でナイトクラブを経営していたため、同所を事務所としていたもので、新井府治と乗田潔が各代表取締役の就任登記をなしていたものの、乗田は、二〇才代の若年で、いわゆるマネージャーにすぎず、西北社の経営は専ら右新井がなしていたもの(因みに、原告かは、昭和二一年三月一〇日生で昭和五四年六月原告學と結婚したが、その以前から右東京カントリークラブに店名「すみ」のホステスとして稼働し、売上高第一位を続けており、売上月額三〇〇万円を挙げていたものの、その給与はいわゆる完全歩合給で、自己が導入または主接待した客の飲食代である売上がなければ、給与も支給されず、しかも右代金の殆んどは掛売りの後払で、通常二か月と定められた期日内に直接集金するか若しくは自ら出捐立替入金したとき、一定率の歩合給が支払われる仕組であつたので、ほぼ恒常的に立替をなす必要があり、これに要するいわゆる回転資金を余儀なくされていたもの)であるが、西北社の前記新井は、その営業運転資金のため、金融ブローカーである畠山一夫を介して被告を知り、昭和五五年九月一二日に、五〇〇万円を半金は一か月後、残金は二か月後にそれぞれ返還する約束で借り受け((イ)の貸付)、ついで同月二七日に、二〇〇〇万円の借入方を申し込み、同月二九日、内金三〇〇万円を第一回返還として同年一一月一三日に、その後最終回である昭和五六年二月まで合計五回にわたつて分割返済する約束で二〇〇〇万円を借り受け((ロ)の貸付)、さらに同年一〇月一七日に、同年一一月一七日に返還する約束で四〇〇万円を借り受け((ハ)の貸付)、いずれについても利息は月六分ないし八分とし、これをいわゆる天引で支払つたものであるが、そのうち、(イ)の貸付については、同年一〇月一一日ごろ、元本二五〇万円を返済し、かつ、残元金二五〇万円に対する一か月分の利息を前払したこと、なお、前記宮城興業は、イの貸付につき西北社のために保証をなし、被告に対し、額面六〇〇万円の約束手形を振出交付していたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

三進んで抗弁2について検討するのに、<証拠>によると、昭和五五年一〇月二八日午前一時ころ、前記通称西北ビルの三階にあつた宮城興業株式会社の事務所において、原告両名は、被告の(専務)取締役梶原俊二(当三一才)及び本件貸付の担当社員福田峯夫(当三二才)に対し、西北社が被告に負担する本件イないしハの各貸付金債務の残元本二六五〇万円につき、いずれも連帯保証することを約し、具体的には、さらに保証人をたて、返済方法は同月末日までに明確に返答するものとし、利息金一六〇万円は保証人と共に同月二八日に持参して支払うことを約束し、以上の内容を記載した念書(乙第三号証)にそれぞれ自署、指印して、該念書を右梶原に差入れたことが認められ<る>。

四次に抗弁3について考えるのに、まずその(一)及び(二)のうち、いずれも原告學において、本件各登記の実体関係たる物権変動行為について、これを承諾し、これらの行為をなす使者又は代理人としての地位又は権限を新井府治に与えていたとの点を除き、その余の事実と(三)の事実とについては、<証拠>によつてこれを肯認することができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。しかし右除外に係る原告學の承諾ないし新井への授権については、これを積極的に支持する証拠のうち、乙第一号証のうち、原告學作成名義部分については、梶原証言及び原告両名本人尋問の結果によると、原告學の住所氏名は、新井が記載し、その名下の印影は、当時新井において持参した印章を押捺して顕出したものにすぎず、同人が該代筆、押印の権限を有していたことについての証拠は全くないから、右作成名義部分の成立を肯認することができず、また乙第七ないし第九号証は、単に新井が這般の事情を一方的に被告に申述する方式の文書にすぎないところ、本件全証拠によつても本件物権変動行為日ないし本件各登記経由日までに被告が直接原告學に面接したことも、また同原告ないし原告かが、西北社又は新井から本件イないしハの各貸付金の一部さえも受領したことが認められないので、この事情に鑑みると、乙第七ないし第九号証は、もはや右積極的支持証拠といえないし、さらに梶原証言、福田証言のうちこれに関する部分は、いずれも新井の表白したものとして伝聞したところを述べるか若しくは臆測にすぎないから、これらも右積極的支持証拠となすべくもなく、他に前記承諾ないし授権に関する証拠はない(因みに、乙第一〇号証の担保差入承諾書については、そのうち原告作成名義部分の印影が原告の印章によるものであることにつき当事者間に争いがないものの、該書面は、それ自体、作成日付も宛名もないばかりでなく、西北社に連帯保証人の肩書が付されている点できわめて異常な方式に拠るものであり、梶原証言によると、当時新井からこの文書を差入れられた被告自身この文書を重視していなかつたことが明らかであるから、同号証をもつて前記積極的支持証拠となすを得ず、また乙第二号証の念書は、前記物権変動行為日ないし本件各登記経由日の後日に作成されたものにすぎないから、これまた右支持証拠となし得ない。)から、結局、抗弁3は理由がないといわざるを得ない。

五そこで抗弁4について検討する。

1 抗弁4の(一)のうち、昭和五五年一〇月三日、原告學が新井府治と共に被告方を訪れたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、昭和五五年八月末ごろ、原告かは、右新井の紹介で、その勤務先である東京カントリークラブでの客の飲食代金の立替入金資金五〇〇万円を北越銀行新宿支店から借入し得るものと信じて、同年九月二二日頃までに原告學所有の本件土地建物に係る登記済権利証及び同原告名義の印鑑証明書、白紙委任状等を右新井に交付しておいたところ、同人から融資決定を得たと告げられ、その借入手続等のため、同年一〇月三日、右新井と共に右銀行支店を訪れた帰途、同人に伴われて被告方を訪れたところ、前記梶原から、既に本件土地建物につき被告のために担保の登記を経由した旨を告げられ、かつ、この担保権の設定の承諾方を懇請され、その方式として承諾書ないし確認書を記載すべき旨を強請されたが、当日は斯種書面を記載することなく別れたことが認められ、この認定に反する証拠はない。前記<証拠>中には、その際原告學において、承諾ないし確認をした旨の部分があるが、<証拠>に照らしてにわかに信用できず、他に右承諾ないし確認がなされたことを支持する証拠はない。従つて抗弁4の(一)についてはこれを肯認することができない。

2 次に抗弁4の(二)のうち、昭和五五年一〇月七日、原告學が念書(乙第二号証)を記載して前記梶原に交付したことは、当事者間に争いがなく、この事実に<証拠>をあわせると、同年一〇月七日、通称新宿ルミネの地下喫茶店アマーテにおいて、原告學は、右梶原に念書を記載交付し、もつて前記新井が無権代理人としてなした本件各登記の実体関係たる物権変動行為を書面で追認したことが認められ、この認定に反する原告學本人の尋問の結果の一部は、乙二号証に照らして措信しないし他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

六進んで再抗弁のうち、時の経過の順に従い、2(要素の錯誤による無効)について判断する。

<証拠>によると、次のとおり認められる。

昭和五五年一〇月三日、原告學は、前記新井府治に同道して北越銀行新宿支店での受融資手続の帰途、同人に伴われてはじめて被告方を訪れた際、被告の(専務)取締役梶原俊二から承諾書等の記載方を強請され、既に本件土地建物につき主債務者西北社のために巨額の担保権設定済である旨を告げられ、喫驚し、極度の困惑を覚えたものの、その場は右書面の記載方を拒んで帰宅したが、同月七日、前記アマーテで右梶原から、本件土地建物につき既に同月一日付で本件イの登記を経由していて、競売することができること及び競売実行によつて、原告らが現に居住する本件建物に居住することもできなくなること並びに言うとおりの念書を書けば、競売申立を猶予する等右登記の有効性を不動の前提としての被告の予定行動等を告げられたところ、さきにその妻である原告かの切望を容れて、北越銀行新宿支店からの原告かの五〇〇万円の受融資の担保としてとはいえ、本件土地建物の提供方を承諾し、原告かを通じて前記新井に右登記申請に必要な書類一式を交付していたし、その印章を一時預けたこともあることを想起し、また前記新井からも本件建物を被告に担保として提供済であることを聞知していたところから、その頃までに新井からも被告からも現実に融資を得ていないし、担保設定につき承諾もしていないし、新井に対する授権もしていないのに、被告のなした本件イの登記等が有効であつて、被告の要求どおり念書を記載差入れなければ、本件各建物に居住することも不可能となるものと誤信し、よつて極度額二〇〇〇万円の根抵当権設定を確認する旨の念書(乙第二号証)を記載して右梶原に交付したものであり、さればこの状況下で、前記梶原においても被担保債権について詳細に説明することなく、また既登記の担保権についても具体的に説示しなかつたので、極度額についても登記済の金額である二五〇〇万円とは異なる金額を記載せしめ、確認する担保権も登記済の本件ロの賃借権仮登記を遺脱したことすなわち、原告學のなした追認には、いわゆる要素の錯誤が存するものと認められ、この認定に反する<証拠>の一部はいずれも措信せず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

してみると、再抗弁2は理由があり、原告學のなした追認は、要素の錯誤あるものとして無効であり、被告の取得した本件各登記の実体関係である各物権変動行為は、効力を生ずるに由なく、右各登記は抹消されるべきである。

七最期に再抗弁1(強迫を理由とする取消)について判断する。

1 再抗弁1の(二)のうち、新井がクラブの経営に窮して昭和五五年一〇月二七日、所在不明となつたこと、原告學が同日午後九時四〇分ころ、原告かからこの旨を告げられ、あわせて右クラブ事務所への来所方を求められたので、同日午後一一時ころ、同所に赴いたところ、同所で前記梶原、福田と原告両名とが話し合つた結果、原告學が乙三号証の念書を書き、原告かも連帯保証人として署名したうえ、これを右梶原に交付したことは、当事者間に争いがない。

2 右争いのない各事実に、<証拠>を総合すると、次のとおり認められる。

原告學は、昭和五五年一〇月二七日午後一一時ころ、通称西北ビルの三階にあつた宮城興業株式会社に赴き、原告かと共に前記佐々木勲と小一時間にわたつて、新井の所在不明による困惑と来たるべき困難な事態等について話し合い多くは愚痴に終始していたところ、程なく前記梶原及び福田が来所し、交々原告らに対し、語気鋭く新井ないし西北社の債務の支払や追加担保を迫り、果ては「借金は二六五〇万円だが、二八日中に金利として一六〇万円持つてこい。」「持つてこなければ、担保物件はすぐ処分する。」「口約束だけでは駄目だ。念書を書け。」等と申し向け、この要求に応じなければ、原告両名を何処かへ連絡するか、その身体に危害を加えかねまじき気勢を示して脅迫したこと、この間右梶原らは、右担保債権の現存額について説明をしなかつたばかりでなく、前記登記後に係る本件ハの貸付をも加えた額を示し、また既に前記西北社ないし新井又は宮城興業ないし佐々木から弁済ずみの利息金等をも加算した金額を提示したものであり、深更に及んだので原告両名は畏怖し(加えて原告學にあつては前示のとおり担保権の有効性と居住を失うやの錯誤も払拭していなかつたこともあつて)、よつて二八日午前一時ころ、結局各連帯保証を約したことが認められる。

すなわち、原告両名のなした連帯保証契約の締結は、強迫による意思表示であることが認められ「この認定に反する<証拠>の一部はいずれも措信できず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

3 再抗弁1の(三)は当事者間に争がない。

してみると、再抗弁1は理由があり、原告両名のなした連帯保証契約締結の意思表示は、強迫を理由に取り消されたものであり、原告両名は被告主張の連帯債務を負担しないものといわざるを得ない。 (薦田茂正)

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